僕がプログラミングを始めたきっかけ

中高生の人達がプログラミングをはじめたきかっけとか、どういう言語が好きなのとか詳しく知りたいからできれば中高生開発者やってる方はブログに書いてほしいなーとかチラッと思ったless than a minute ago via Twitter for Mac Favorite Retweet Reply


ホームページ・Webサイト制作

今日のWebサイトの制作まではCSSを知って、テーブルレイアウトでページを構築したり、divを大量に使ったり今では大っぴらに叩いていますが一時期は私もそうした。大学のサイトを、XHTML書いたり、独自サイトでSEOを完璧にしたり…といった程でした。勿論Webデザインに関しても独学で知識を身につけていきました。仕事として、Web制作に着いた以上、このWebデザイン知識がやばいと思い、専門学校に通い、Webデザインについて勉強するほどです。

どうしてここまでするか、自分に投資をしているからです。仕事にするということはそれなりに自己投資をして、最後まで磨きをかけお客様に満足いただけるサイトを作りたいからです。

プログラムに関して

大学の授業の影響で、C言語・Java言語・SQLやっていくうちに、楽しくなり、これまたwebと同様で、独学してしまうほどでした。SEとして一時期働いていましたが、作ることの楽しさの以前に、人と人の話を元に作り上げて、それが世に出て、自分がそれを目にした時に嬉さや感動が倍になって返ってくるからです。
プログラマーの感覚でものをいってはいけませんが、プログラムを打つのは、本当に1日の中で2~3時間が私は限界で、それ以外は、誰かと話しながらプログラムを打つことが大半です。Web制作も同様です。

最後に

これと決めて制作・開発しても良いのですが、臨機応変に幅広く言語が使えて時代の流れに乗って、開発のできる方が、次なる後継者につながることを私は期待したい、と思っています。

これより下は私の経験談で長くなりますので要注意

自己紹介がてら、今まで私が経験してきたことを順に書きたいと思います。

私が物心ついた小学校1年生(1993年)の時、親はワープロをしていた。

小学生2年つまり、1994年、東京の親戚のおじさんが、パソコンをくれる。
この時、くれたパソコンはMacintosh System Software7.5
当時のマッキントッシュのパソコンは奥行きがバカにあり、置き場所に困るほど。このとき、クラリスワークスとよばれるソフトで、タイピングをすることになる。当時はまだ、私はローマ字入力できず、日本語入力をしていた。

小学校3年つまり、1995年、このときWindows95が発売された年である。
私の同期の友達は、Windows95を購入。このとき、私は親が使っていた、ワープロと小学校2年のときのパソコンで、おもちゃ代わりで友達と遊んでいた。このころ、全国の小学校であると思われるが、小学校でパソコンが導入される。しかし、このころ30万前後のため、2人に1台の形で授業があった。このころのインターネットはISDNでなかなか遅い。

小学校4年つまり1996年、Windows NT 4.0が発売された年である。
この年に、1人1台のパソコンが使えるように小学校は増設を図る。当時私は、小学校の吹奏楽(フラワーバンド)に所属して、トランペットを吹いていた。なんでもやりたがりやの年で、親に迷惑をかけるなどしていた。

小学校5年つまり、1997年、Windows97が発売された年である。
このとき、ADSLと呼ばれるインターネットが普及し始め、この時、携帯電話も同じく、進化が始まる。この年に、言われたことは、ITの時代が到来し便利な世の中へなっていき将来的に理数が有利になるのではと噂されるほど。
さらに、この時、自宅にあったパソコンが壊れ、親のお古のワープロでローマ字入力ができ、何を思ったのか、友達とパソコンの知識バトルが始まる。

小学校6年つまり、1998年に私に転機が訪れる。それは家にワープロが4台ということと、FAXが入る。つまり、メールの普及が始まる。このときADSLは既に、10MBbpsの早さを出していてた(?)この年はWindows98が発売された。

中学に入り1999年誰もが予想していていない、技術の授業で、パソコンの授業が本格的に入ることが文科省で決まる。転機はこの時である。
学校の職員室に大きなパソコンが1台あり目にする。
東京めたりっく通信が1999年12月24日に新宿新南口のユースビル一階で、ADSL/SDSL接続サービスのデモ・センター「新宿めたりっくバー」を開設された。
このとき、誰もが予想していてない出来事があり、21世紀へと移り変わる。さらに、この年はインターネットの加速が進む。
そして、毎週土日休みが実施される年でもある。

中学2年2000年に入り、Windows me Windows2000の発売がされる。
中学のパソコン教室にWindowsの最新であったと思われる。この時、何気なく、パソコンを教えてくれる先生が、何かと、DHTMLのことを教えてくれる。これが引き金となる。

中学3年(2001年)になり、Windows XPの時代の幕開けとなる
何気なく教えてくれたDHTMLに私は感動を覚え、友達からDHTMLについても聞くようになり独学でHTMLのタグ辞典を買って、このとき、何気なく親がWindows XPのパソコンを買ってくれた。本当に嬉しかった。ホームページ制作の加速が強まり、パソコンに興味を持った。

高校では、(2002年)進学コース・情報ビジネスコース・福祉コースがあり私は、進学コースを選ぶ。高校1年の時は、何気なくパソコン部に入部する。ここで転機が訪れ、高校のサイトの更新をパソコン部がしていることを知り、携わる。
始めは、HTMLを手入力して独自のWebサイトをジオシティーズで開く。個の頃、HTML4.0の記述であった。始めソースはまともに大文字でやっていた。今思えば、恥ずかしいHTMLソースを書いていた。

時はながれ高校時代は本当に、パソコンを死に物狂いで独学する有様で、進学コースである私が、情報ビジネスコースのとる、資格の日本情報処理検定協会の情報処理技能表計算1級をとる有様で、顧問の先生にも「なんの仕事に将来就くのか」と言われるほどである。

いろいろな大学をAO方式で受けて、国立大は見事、落ちた。結局、私立ではあるが、愛知学院大に進学を決める。これ以上書いても長くなるので、ここまでにしたい。大学編は後日書きたいと思う。

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