4年に1度。

 オリンピックは当の昔に終わってしまい、更新したと思っていましたが、インターネット障害で投稿できていませんでした。申し訳ございません。

 日本の選手にまずは、『お疲れさま』と言いたい。

 サッカーを始めとし、競泳や柔道でメダルをとり嬉し涙をする選手や、メダルを惜しくも取れず泣く選手の涙は、日本の国民を強くしてくれた。そして日本代表選手も次なる目標を掲げることもできる、そんな素晴らしいオリンピックという舞台の代表に立て、出れることは素晴らしい。
負けても笑って日本の国民を励ましてくれた。2011年3月11日以来、日本は誰かが助けを求めていれば、助けの手を差し伸べくれることや、誰かが挫けそうになっても、負けるなということ。世界の人たちが日本を支えてくれて復興が進んでいる。
代表の名に相応しく、負けても参加できたことで、思い出が残り参加することに意義があったということを、インタビューを通じて分かった。

 ちょっと気になった記事がある。

 『 米ABCニュースをはじめとする現地 メディアは最近、北朝鮮が金メダルを獲得した 選手に対し、金銭のほか冷蔵庫、自動車などで 褒賞していると報じた。 メダルを獲得できな かった選手は代表選手から除名されたり、強制 労役に動員されたりするという。 米国や韓国な ど北朝鮮と対立関係にある国との競技で敗れた 場合は処罰がさらに厳しくなる。 』(http://japanese.joins.com/article/001/157001.html より引用)

 スポーツマンシップともいえない処罰だ。仲間や家族が、いるから挫けそうになっても支え会い、嬉し涙をしたり、悲し涙を流せることができてこそ、楽しいスポーツだと思うのに、「メダル」が取れなければ処罰というのは、スポーツの試合がまるで、『戦争』という言葉に置き換えられる。なにもそこまでして、メダルに拘るのはおかしい話だと思う。

 特にオリンピックを見て総評すると、審判としての素質があるかだ。柔道やサッカーの審判判定にいささか疑問を持つ。サッカーではアメリカと日本の優勝争いの試合で、ハンドではないかというシーンがあった。後日、アメリカの新聞記事でも「ハンドとられなくてラッキーだった」という報道があった。(http://www.j-cast.com/2012/08/10142635.html 参照)
 審判はきちんと見る目をしっかり養う必要があることに気づいて欲しい。

 オリンピックは終了しているけれども、パラリンピックの選手たちもどうか、勝ち負けにこだわらず、自分の良い結果を出して欲しいと思う。

 日本の選手を始めとし、支え会った仲間、家族、その関係に携わったヒトたちに、お疲れさまと言いたい。そして感動をありがとう!

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